よき馬を見つけよう

それが伯楽。  誰も見ていないでしょう?

一度きりの人生、「自分」のやりたいことを じゃ原動力になんねえってのがわたし

 

 

一度きりの人生なんだから、自分のやりたいことやったらいいんですよ。

 

とは、私の髪を切ってくれる美容師さんの言。

 

彼女はやりたいことをやって今私の髪を切ってくれている。

ははあ、この人は自分のやりたい声を聞いたからこういう言葉が出てくるんだなあ、と鏡の中の私たちを見るでもなく私は私の額の裏側を見ながらぼんやり彼女の言葉のシンを捉えようとしていた。

 

自分は、

自分の人生だから自分のやりたいことをやる、とは思えない。

自分一人しか関わらないことにはどうにもやる気が起きない。

やるもやらないも諦めるも全部独り相撲。

全部独りだから、やっても虚しい、やらないも虚しい、諦めるも虚しいかなとどうにも原動力になる言葉にはならないでいた。

自分「が」やりたいことをやって満足するという価値観に重きを置いていないらしい。

 

だから、

自分に向いている考え方にアレンジさせていただいた。

 

自分の人生、という観点はどうでもいいが

自分がやろうとしていることが誰かの楽しみや琴線にフれることになるのなら

一生をかけてでもやっていこう。

 

少々傲慢だけど、今の私のアレンジとしてはこんな感じ。

自分を主眼に置くのではなく、人を主眼に置いた考え。

この考え、つい1ヶ月前までは持ち合わせていなかったの。

それが、ちょっとこの1ヶ月で変わった。

だからまた変わると思う。

それには理由があったり、こっちのが都合がよかったりするから、

まあころころ変えていきますわ。

 

この考えになるきっかけの前哨からお話すると、小学生まで遡れた。

私は小学3年生の頃までは、

自分一人だと奔放。他人が加わると目立たないように、なんて性格してた。

蛇足だけど、私が知らないのにその子は私を知っている、なんてことがあったけど居心地が悪かったのは多分、目立たないようにしてるのに……なんて思いがあったからなのかなあと。

変わるきっかけになったのが、小学4年?か5年。

いじめ、ですよねー。

友人がいじめられていて、私もひどい奴で、最初は面倒だから関わらんとこって態度だった。

でもなんでか関わって、友人守らなきゃなってなったら性格がまるで変わった。

気の強い子の出来上がりですよ。

友人守りすぎていじめの対象が私に変わったんだけど、それは私の思惑通りで、今日はどうやってあいつらと戦おうかって毎日意気揚々と学校行ってた。

 

私は、目的があって誰かのためにもなるんであれば性格や行動すら変えることが出来るんだって最近ようやく気付いた。

 

だから、私がやろうとしてることが誰かの何かに繋がるのであれば

私は重い腰を上げて、それを原動力に自分の時間を使っていきたいなって

今は、そう思う。

 

そして今、

その誰かは私の友人たち。

仕事や人間関係とかいつも色んなのと戦って疲れてしまっている友人たちの活力となるなら私はそれをやろうと思う。

ここに、私の目的とか手段を肉付けしたものが私アレンジのやりたいことなんだなあ。

 

 

明日になるとこの考え、さらっさらに消え失せてる可能性もあるのだけど

一先ずはこんな考えをしていた時もあったんだよっていう私の備忘録。