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よき馬を見つけよう

それが伯楽。  誰も見ていないでしょう?

楽しみは先にやらないと次に進めない

 

週末に楽しみにしてることがあるとお仕事頑張れる!

 

と、私の周りは言います。

 

すごいな。私全然出来ない。

むしろ楽しみにしてることが週末にあろうものならその一週間心ここに在らずでふわふわしてるから仕事の進捗が恐ろしく遅くなる。捗らない。

故に、未来に楽しいことが待っているという状況は私にとって芳しくない。

 

 

友人とのご飯、デート、旅行、ライブなど、楽しみは様々かと思います。

みんなそれを心の支えに仕事を頑張る。

そしてようやく待ちに待った楽しい時間を過ごす。

終わる。

終わった後はみんな現実に戻りたくないと、月曜なんて来なければいいと嘆く。

ライブなんかはよくライブロスなんて言いますよね。

週末のライブを思い出しては、現実とのギャップに苦しむっていう感じの。

そうして、またみんな各々の楽しみを糧に仕事を頑張る。

 

ご褒美戦法ってやつですかね。

子どもの、100点取ったらゲーム買ってあげるみたいな。

そんなんやる気出す。

やるしかない。

ご褒美があることでやる気が出るんだからどんどん有効活用していくべき。

 

ただ、これが通用しない人間がいる。

最たるは私ですが。

 

思えば、小さい頃からそうだった。

~~したら、~~してあげる。って条件をつけられると途端にやる気をなくす子どもだった。

自分で勉強してる時も、問題集ここまで終わったらご褒美にケーキ食べようって決めてもやる気は出ず、むしろケーキ食べたいなぁって思いが自分の中の大部分を占めて思うように勉強が捗らなかった。

だから先にケーキを食べた。

心に占めるものがなくなった私は何も思いふけることなく、心置きなく勉強に勤しむ環境を作り出した。

 

私がどんな人間かよくわかりますね。

楽しみはすぐにやりたい。

満足したらやることやる。

我慢が出来ないタイプですね。

でも、ある一定数満足したらちゃんとやることやれるし気持ちが晴れているので仕事が早く片付く。

故に、私にはライブロスなんて現象は訪れず、むしろ晴れやかに月曜日を迎えることが出来る。

難点は、旅行やライブなど今すぐには出来ないものの日時が迫ってくると何も仕事が手に付かないということだ。

 

正直、デメリットの軍配が高い。

私もご褒美があると頑張れる人間でありたかった。

 

 

小さい頃から今も変わらず、やりたいことは先にやってからやることやる、っていう性質は変わっていない。

なのに、私は自分のこの性質を無視していた。

 

周りと違って、この歳になっても結婚や恋人が欲しいという気にならなかった。

機会があれば、とは思っている。

そして機会はあった。が、どうしても意識がそちらに向かない。

不安だというのも理由の一つ。

行動に制限が伴うとも考えてはいる。

事実、結婚するとやりたいことが出来ない、結婚は人生の墓場だ、と

半ば本気で思っている私である。

実際そうではないと頭ではわかっているのだけど。

それを踏まえて、恐らく、恋愛以上にしたいこと、結婚という人生の大イベントを志す以上に、その前に先にやりたいことがあるのだ。

それが達成出来ていないから恋愛全般に目を向けることが出来ないんじゃないのか。

 

自分は不器用な人間で、先述したように、やりたいことをやらないと他が手に付かない人間だ。

結婚するべきともしたいともあまり思っていないが、恋愛はしたいとは思っている。

でも恋愛の機会があるのに全く動く気がないのは、何か先にやりたいことがあるんだろう。

そして、全くそれをカケラも出来ていないから次に進めないんだろう。

 

私は長いこと、自分が本当にやりたいと思っている自分の心の声を無視してきた。

何故無視してきたか、本当の理由はまだわかってない。

けれど、声を閉じ込めてきたのは本当で、

今は聞こうと努力している。

 

楽しみを先にやらないと次に進めない性格なんだから

自分の「楽しい」としている、気になっていることを早いとこやらねばね。

気になって気になって他のことに集中出来ないよ!

不器用なんだよ!

みんなみたいにやることやって、ってご褒美戦法が私の中の孫子兵法に載ってないんだ!

 

 

 

「火車」宮部みゆき ちょっと感想

 

先日、宮部みゆきの「火車」を購入。

なんでだかミステリーも現代モノも嫌いな私なんですが

いい加減有名作品くらい読んでみたらってなって読了に至りました。

 

読んでて思ったこと。

あれ、現代モノなのになんだか風景描写が古いな?でした。

 

それもそのはず。

舞台は平成2年とかそこいらで、ちょうど私が生まれるかどうか辺りです。

物や流行だけでなく風景そのものも昭和から脱却し、平成として新しい風景に書き替えようといった転換期のような時ですよね。

ものの移り変わりが見て取れるような描写でした。

今は平成29年で、昭和の匂いがしない、完全に平成の世として成り立っている今だからこそこの描写に目が行くんだろうなあと思います。

 

固定電話を使って話すところもそう。

今じゃ固定電話なんて個人ではほとんど使われてない。

持ち運び出来る携帯電話ですね。

なんなら連絡だってメールという電子のお手紙使うからね。

ここ30年の移り変わりを見下ろして見てるような気持ちでした。

 

人物設定。

養子をとってるなんて、これは今でも珍しいような?

周りではあまり聞かないし、

小説にも出てきたように養子だって周りに知られると陰でいろいろ囁かれる。

これは今でも変わってないような。

先日、同性カップルが養子をとったっていうニュースを聞いた気がする。

当事者達は何も自分達のことを可哀相だなんて思っていないのに、周りが勝手に子どもが可哀相だと野次を飛ばしていたそうで。

技術が向上して暮らしは豊かになったのに、人の心というか内面は何十年経ってもそう変わるものではないようですね。

外面は変えようと思えば目に見える形で変えることが出来るけど

内面は見えづらいから気付こうとしないと気付けなく、気付けばそのまま停滞していたなんてことがよくあるよくある。

やっぱり人間だなぁ、僕ら。

 

この小説、面白いかどうかは私にはよくわからない。

そもそもあまり読書をしない人間で読むと言っても歴史小説ばかりだったものだから、いきなり苦手としているミステリーと現代モノだから判断出来ないのは仕方ないかなって。

それよりも700ページちゃんと読んだ自分偉いなってまずそこをとてもとても褒めたい。

そして金融ネタって複雑なはずなのでよくこれを理解して上手く小説として書き上げられたなってその手腕に終始脱帽してました。

 

 

 

 

脚本家になりたいんじゃなくて脚本を手段にするの

 

 

イマイチ方向性がはっきりしてないのだけど

脚本というかそういうの書く人になります。

 

脚本書くっていうのは私のただの手段なので別のやり方が見つかったらそちらに転換する可能性も大だけど、今はこれかな。まずは舞台脚本書く。

先のことはこれから。

 

なんで脚本って、きっかけになった人が3人いたから。

 

1人目は、2015年の「舞台 下天の華」を手掛けたキタムラトシヒロさん。

オリキャラだった小豆(馬場野々香)を見事「下天の華」の世界にとけ込ませた。

役者さんの力もあって、一人の個がそこに出来上がっていた。

舞台、という世界を知ったきっかけ。

 

2人目は、2016年の「舞台 戦国無双~四国遠征の章~」の演出をした吉谷光太郎さん。

舞台の演出の華麗さに、開始3分で五体投地してこの出会いに感謝するくらいの衝撃を受けました。

映像じゃなくて、舞台ってここまでのことが出来るんだって、舞台の可能性を教えてくれた人でした。

 

そして3人目は、脚本家の中園ミホさん。

2016年の年末になんとなく録った「サワコの朝」という番組に出ていたのが中園ミホさん。

この回を2017年の1月14日に、自分のやりたいことってなんだ?って考え事しながらなんとなく音が欲しくてこの回をつけた。

そしたらこの方、なんて言ったと思う?

脚本家がえらいなんて誰がそんなことを言ったんです?って笑いながら。

えっ!?脚本家ってえらくないの!?
唯一神じゃないの!?
私の一番の衝撃です。
この話を聞いて、あ、私脚本やるわ、ってなったのが最終的なきっかけと答え。

 

脚本は、

自分が描いた世界はこれです!っていうのを演出家や演者の第三者の手によって作りかえられちゃったりするそう。

自分の築いた確固とした世界をグズグズに崩されるってこと。最高ね?

場合によっては全く違うものに仕上がるんだろうなあ。

狭い価値観で生きる僕にぴったりの世界です。

第三者にテコ入れされてとても嫌な顔するし不快感がもの凄いと思う、自分の場合。

だからこそ、やりたい。

僕のところに第三者が加わることが重要で。

その先の物語が見たいなあ。

 

そこに、自分が一生をかけてアラワシテいきたいコトを幾度と捩じ込もう。

まだ未熟で、手法が確立してなくて、一回じゃ終われないことだから。

 

これをやってることによって、僕の友人とかが楽しんでくれたらいいな。

これなら楽しんでくれると思うし僕のやりたいやり方だから、

そのためだから、ようやく今のこの安寧を捨てられる。

 

4年間の安寧はとても安寧で、楽しかった。

でも、どうやら今の僕が幸せだと感じるものじゃないみたいで。

今僕がやろうとしてることは僕が幸せだと感じる先じゃないかもしれない。

むしろ今より辛いことは明白。なんで飛び出したって思う日が絶対何度も来る。

それでも、明日死んでても気づかないような安寧は今の僕には必要なくて。

僕の場合、どっち選んでも精神的に死にそうで、なら、やりたい方で死ぬかって。

ちなみに、お金なくて精神的に貧しかったのは経験してる。

でもお金ある今でも精神的に貧しかった。

貧しい人間性になっていったのがよくわかった。

だから人間性に関して、お金あるなしは関係ないってことがこれでわかった。

ということは、衣食住の不安定さが問題であって精神的な心配はこれでクリアになりました。

 

なら、私が求めることは

転がり込む新しい場所。

新しい仲間。

 

私が脚本を手掛けるのはひとつの手段。

目的があるから。

ちなみに、その目的の道すがらやりたいことがある。

あるゲーム会社と仕事がしたい。

良くも悪くもいつも私の岐路にいるから。

 

 

今、私の味方は2人。

私ともう1人。

自分以外の人が1人でもいるってとても有難いこと。

でも強欲だから、僕は味方が足りないって思う。

今は自己暗示なり自己陶酔なりして補わないとやってられない。

生身の味方増やそう。

 

 

 

周りに言えば叶うって、味方を増やすってこと

 

自分で自分を心底信じるって案外難しいからさ

 

というのは、「あまつき 22巻」六合鴇時の言。

 

思い続けるって難しい。

今はそう信じられても、また明日になるとなんでかそう思えなく、信じることが弱くなる。

だからそういう時は周りの力を利用してみる。

 

 

やりたいこと欲しいことは思い続けていれば叶う。

やりたいこと欲しいことは周りに言うと叶う。

 

これ、なんのカラクリかなってずっと思ってたの。

 

やりたいことしたいことを思い続けて努力し続けるのって難しい。

やっててほんと実感する。

精力があればそれも続けられるでしょう。

でも、毎日みなぎってるわけじゃない。

日によって悩んだり落ち込んだり忙しかったり体調悪かったり、そんなんでコンディション悪くてそう続けられなかったりする。

継続は力なりっていうけど、本当、出来る人ってそれはひとつの才能だよ。

 

思い続けていればっていうのは、自分がそれを手に出来るって心底信じることだと思う。

自分を信じる努力ってやつ。

それが継続して力となっていくの。

 

でも一人で継続出来る人はそれは一種の才能。

ちと難しいなって人は他人を利用する。

 

やりたいこと欲しいことを周りに言うの。

 

そうすると、どうしてそれがやりたいのか欲しいのか納得する人がいたりする。

直接力にはなれないけど応援してくれる人もいる。

そして、君ならそうなれるって信じてくれる人もいたりするかも。

 

自分がこうしたいってものを、出来るよ!って信じてくれる人が周りに増えると

今まで自分のことを自分しか、しかも半信半疑でしか信じてやれなかったけど、

周りの信じてるって勢いに乗せられて自分のことを信じていいのかなって自信が生まれる。

 

周りに言うってそういうこと。信じてくれる人の力を借りること。

僕が信じられるよう、君が信じていてくれって。

味方を作るのが、自分で自分を信じ続けるのが難しい人の、自分のやりたいことの叶わせ方。

 

でも、言う人は選べよ。

こんな不特定多数が見てるような場所なら別だけど、

実際の周りに言う時は鼻で笑うような人や反対する人だっているだろう。

そんなの無視出来るくらい自分を信じられてるなら言って大丈夫。

でもまだしぼみそうな段階なら人を選んだ方がいい。

言って、信じてくれる人を自分の力にしていこう。

鼻で笑う奴らすり潰すのはこれからだから。

 

 

  

一度きりの人生、「自分」のやりたいことを じゃ原動力になんねえってのがわたし

 

 

一度きりの人生なんだから、自分のやりたいことやったらいいんですよ。

 

とは、私の髪を切ってくれる美容師さんの言。

 

彼女はやりたいことをやって今私の髪を切ってくれている。

ははあ、この人は自分のやりたい声を聞いたからこういう言葉が出てくるんだなあ、と鏡の中の私たちを見るでもなく私は私の額の裏側を見ながらぼんやり彼女の言葉のシンを捉えようとしていた。

 

自分は、

自分の人生だから自分のやりたいことをやる、とは思えない。

自分一人しか関わらないことにはどうにもやる気が起きない。

やるもやらないも諦めるも全部独り相撲。

全部独りだから、やっても虚しい、やらないも虚しい、諦めるも虚しいかなとどうにも原動力になる言葉にはならないでいた。

自分「が」やりたいことをやって満足するという価値観に重きを置いていないらしい。

 

だから、

自分に向いている考え方にアレンジさせていただいた。

 

自分の人生、という観点はどうでもいいが

自分がやろうとしていることが誰かの楽しみや琴線にフれることになるのなら

一生をかけてでもやっていこう。

 

少々傲慢だけど、今の私のアレンジとしてはこんな感じ。

自分を主眼に置くのではなく、人を主眼に置いた考え。

この考え、つい1ヶ月前までは持ち合わせていなかったの。

それが、ちょっとこの1ヶ月で変わった。

だからまた変わると思う。

それには理由があったり、こっちのが都合がよかったりするから、

まあころころ変えていきますわ。

 

この考えになるきっかけの前哨からお話すると、小学生まで遡れた。

私は小学3年生の頃までは、

自分一人だと奔放。他人が加わると目立たないように、なんて性格してた。

蛇足だけど、私が知らないのにその子は私を知っている、なんてことがあったけど居心地が悪かったのは多分、目立たないようにしてるのに……なんて思いがあったからなのかなあと。

変わるきっかけになったのが、小学4年?か5年。

いじめ、ですよねー。

友人がいじめられていて、私もひどい奴で、最初は面倒だから関わらんとこって態度だった。

でもなんでか関わって、友人守らなきゃなってなったら性格がまるで変わった。

気の強い子の出来上がりですよ。

友人守りすぎていじめの対象が私に変わったんだけど、それは私の思惑通りで、今日はどうやってあいつらと戦おうかって毎日意気揚々と学校行ってた。

 

私は、目的があって誰かのためにもなるんであれば性格や行動すら変えることが出来るんだって最近ようやく気付いた。

 

だから、私がやろうとしてることが誰かの何かに繋がるのであれば

私は重い腰を上げて、それを原動力に自分の時間を使っていきたいなって

今は、そう思う。

 

そして今、

その誰かは私の友人たち。

仕事や人間関係とかいつも色んなのと戦って疲れてしまっている友人たちの活力となるなら私はそれをやろうと思う。

ここに、私の目的とか手段を肉付けしたものが私アレンジのやりたいことなんだなあ。

 

 

明日になるとこの考え、さらっさらに消え失せてる可能性もあるのだけど

一先ずはこんな考えをしていた時もあったんだよっていう私の備忘録。

 

 

矮小な君、正体  1.

 

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ttp://www.gatag.net/07/15/2008/153030.html

 

 

 

「置いていかないで」と声にもなれず、身体にも表せない君を

何年も何年も何年も君はいないかのように扱った。

 

そうしてその君は粘り気のあるヘドロのようなものをその身に巻きつけて

君の前に立ち塞がったんだ。

 

いつもは蹴飛ばしていた。

見えないように、視界に入らないように。

 

だけど、何年も何年も何年もかけて蹴飛ばせないくらいになった君が立ち塞がってきたんだ。

 

 

 

 

 

 

一人で立ち尽くしている子どもがいます。

 

その子どもの周りには無数のマンホールのような穴があり、その子どもの周りにはたくさんの蓋があります。

 

子どもは、その穴を見慣れた姿のマンホールのように塞ぐか、自分で側溝のようなものを作ってなにかが流れるようにし、銀の格子をつけて上を通れるようにするか、はたまた穴に入って地下に家を作るもよし、温泉を掘るもよいでしょう。

 

 

たいていの子どもは、穴に入って大なり小なりの「何か」を作りました。

穴があればあるだけの無数の「何か」を作りました。

 

 

しかし、その子どもは穴という穴のほとんどに蓋をしました。

そのうちのいくつかは側溝を作り、銀の格子をつけて通れるようにして、「何か」が流れているのをたまに覗き見たこともあります。

 

 

 

穴とは、世界であり価値観であり出来事であり出会いであり人であり物であり、本当にただの穴であり、自分にとっての未知なる「何か」なのである。

これをどうしていくかは自由である。

 

マンホールのように蓋をすることは未知なる何かを塞ぐこと。

側溝を作り、銀の格子から覗き見れるようにしたのは、未知なる場所に踏み込まずしてその場で観察出来るということ。

穴に入って「何か」を作ることは、自分の生身の身体を使って未知なる何かに触れること。

 

 

君は塞ぐことを選んだんだよね。

 

 

  

「逃げ恥」6話 感想

 

 

毎度毎度、このドラマは面白すぎますね。

 

ついに録画し始めたんですが、

今週は大正解。

 

面白すぎて巻き戻しを何回したか(笑)

 

 

6話は平匡とみくりが温泉旅行に行くお話です。

2人は結婚しているということになっているので当然同室。

同じ部屋で女性と一緒に眠るというミッションをプロ独身の平匡はどうクリアするのか、必見の回でした。

 

みくりと一緒に寝なければいけない夜が不安だと平匡は職場仲間の日野にこぼしたところ、イイモノを貰いました。

 

そう、精力剤マムシドリンク。

 

それを旅館に着いてから開けて狼狽える平匡。

様子がおかしい平匡に探りを入れるみくり。

みくりが飲み物を買いに行ってるスキに何故かマムシドリンクをベッド(ダブル)に隠す平匡。

 

何故そこwww

そのまま鞄にしまえばよかったじゃんと誰もが思いましたねw

 

なのであっさり見つかりかけます。

そこをものすごく何か深刻な虫が入ってるということにした平匡。

 

みくり「虫なんですよね?」

平匡「マァ…ムシです。」

 

苦しいかわし方をしてくこのやりとり(笑)

 

フロントに連絡しようと電話をするみくりの後ろで平匡は動きます。

すっとマムシドリンクを取り出し、自身を滑らせ、それを滑らせチェストの足の下にゴーール!!

何事もなかったかのようにベッドを整え、棒読みで「あ、逃げました」と。

平匡の華麗な滑りとこの棒読み演出、是非見ていただきたい。

そしてこの直後も大変面白い。

平匡の動揺っぷりが最高です。

この演技、素晴らしい。

 

 

 

色んなハプニングやらミッションやらがあり、大変な温泉旅行を過ごした2人。

平匡は無事ミッションを終えることが出来た安堵感となんだかんだ楽しかったという満足感で晴れ晴れとした様子。

対して、みくりは、自分の性格が災いしていつも人に嫌われてしまうこと、平匡は優しすぎるから自分が言うことはちゃんと対応してくれるけど、平匡からは何もない、という天秤が合わないことに悲しさと虚しさを感じているよう。

帰りの電車の中、いつまでもこの電車が着かなければいいのに、とお互い同じことを思っているのにその心境は全く違う。

切ない対比ですねえ。

 

 

と、いうところで今週は終了!

笑いありありの話でほんと面白かった。

 

 

もう毎回思ってるけど

なんでガッキーはあんなかわいいの?

どうしてあんなにかわいいのか全然よくわからなくてキョトンって顔しながら時折ガッキー見つめてる。

どうしてあんなにかわいいって思うんだろ。

 

制服姿もほんとかわいかった。

こんな子彼女に出来たら幸せだよね~って。

 

来週も楽しみですね!

ほんと珍しく待ち遠しいドラマでうきうきです。